RDDは留守番電話から回答を得るか

無人格コミュニケーション ~

パッシング

他車をあおったり幅寄せしたりという運転トラブルのニュースが、10月半ばくらいから急に増えた。事件を起こした運転者が「パッシングされたから」と言い張ったなどとも報じられている。

パッシングはpassingで、もとは追い越す(pass)ことを意味する和製語だろうけれど、ただライトを点滅させるだけでもパッシングといっている。後ろから来たクルマにパッシングされたら、「追い越しますよ」「先に行かせて」ではなく、「どけ」「早く行け」という意味に感じる人が多いのではないかと思う。

後ろのクルマではなく、対向車がライトを点滅させたら? 「この先で取り締まりやってるよ」。数年前、流れの良い都道で向こうから来たBMWがライトをピカッ、「え?何?」と思っていたら路肩からお巡りさんが現れ、スピード違反で切符を切られてしまった。「ライト点いてるよ」とか「お先にどうぞ」とか、いろいろなお知らせが頭に浮かんで、高い授業料を払ってしまった。

では譲り合いの合図ならどうかというと、これは何十年か前のこと、伊豆の狭い山道で前から来たバスにパッシングされたので、「どうぞ」だと思ってアクセルを踏んだら向こうも進んできて、ちょっとあわてた。「行くぞ」の意味だったらしい。あのあたりではそういう意味なのかと思ったけれど、都内でもパッシングして右折するクルマを目にすることがある。

交通ルールは基本的に解釈の余地がないはずで、ブレーキランプが点灯すればそのクルマは減速し、ウインカーが点滅すればその方向に進路を変えるのだとわかる。人や場所によって意味が違ったりはしない。パッシングは注意を促すもので、挨拶とか個人的な合図に使ってはいけないと、教習所で教わった。それで公式のルールがなくて、「どうぞ」と「行くぞ」のようなまったく逆の使われ方もするのだろう。

無人格コミュニケーション

言葉で伝えられれば誤解は起こりにくいけれど、クルマに乗っていて「お先にどうぞ」と言っても、聞こえないことも多い。「どうぞ」と手ぶりで示して気づいてもらえれば、伝わる可能性が高い。ひと昔ほど前、香港やバンコクのような東南アジアの街でクルマや人が雑多に行き交いながら大きな事故にならないのは、互いに相手の顔を見ていて、動きが予測できるからだというのを何かで読んだ覚えがある。いまはどうか知らない。でも確かに、近所のスーパーの駐車場の出入口で、係の人の誘導に戸惑うとき(けっこうある)、誘導の人はこっちの方を見ているけれど、こっちの顔は見ていない。

相手の表情がわかるくらい近ければ良いけれど、何十mも離れていたり時速何十kmで走っていたら、よく見えない。それで必要に迫られて、パッシングやハザードランプの点滅といった合図が生まれたのだろう。言葉を使わず手ぶりや表情などで意思を伝えるのを非言語コミュニケーションというけれど、これも一種の非言語コミュニケーションといえるだろうか。激しい点滅や鋭いハイビームからは、イライラや怒りなども感じられる。

同じような動作でも、ブレーキランプの点灯やウインカーの点滅をコミュニケーションというのには、なんとなく違和感がある。コミュニケーションとは「人々がなにものか(情報、観念、態度、行動、感情、経験など)を共有すること」*1で、communicationの語源は「‘to share’」*2というから、「減速する」「曲がる」といった情報の通知もコミュニケーションといって良さそうに思えるけれど、何かしっくりこない気がする。

手招きは相手の姿が見えるし、表情からも「どうぞ」とわかったりする。交通ルールで決められている手信号は「進め」「停まれ」と合図しているだけで感情はなくても、合図を出している人の姿や顔が見える。パッシングは操作している人物が機械の向こうにいて、その姿は見えないけれど、動作から意思がうかがい知れる。ブレーキランプの点灯は減速を伝えているけれど、機械が動作しているだけで感情はなく、無人格だ。機械に返事をしようとする人は、あまりいないと思う。人格が伴わない発信はコミュニケーションにならないのだろうか。

留守番電話

選挙前のある日、わが家の固定電話が鳴った。相手が確認できるまでは受話器を取らないことにしており、見知らぬ番号からなので放っておいたら、留守番電話に切り替わった。相手は世論調査。訪問調査に代わってRDD(Random Digit Dialing)という電話調査が行なわれているのは知っていたけれど、それが自動音声なのは知らなかった。留守電の機械音声が「ただいま留守にしております」と応じているのに、向こうも一方的に、音声に従ってボタンを押してくださいとか何とか言っている。何だこれ? 機械同士でしゃべってる…。

言語による無人格のコミュニケーション。いや、お互い勝手に音声を発しているだけで、相手の発する言葉はいっさい理解していないから、何も共有されていない。留守電はメッセージを残すよう求め、RDDはボタン操作を待っているので、機械なりに情報をやりとりしようとしているといえなくもないけれど、さすがにコミュニケーションというのは無理がある。

世論調査の方は、しばらく応答がなければ自動的に切れるようになっているらしく、空虚なやりとりはじきに終わった。ところが…。いったん対象者を選んだら、一度や二度の不在で調査をあきらめたりはしないのだろう。このあと何度か同じ電話がかかってきて、「コチラハ××デス」「タダイマ留守ニシテオリマス」と、シュールな会話が繰り返された。最近話題のスマートスピーカーを2台向き合わせてしゃべらせたら、擬似的でもコミニュケーションを成立させるのだろうか。

*1:岡田直之. "コミュニケーション" 日本大百科全書. 小学館. ジャパンナレッジPersonal. http://japanknowledge.com/psnl/, (参照 2017-11-18)

*2:"communication | Definition of communication in English by Oxford Dictionaries". Oxford Dictionaries. https://en.oxforddictionaries.com/definition/communication, (参照 2017-11-18)

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